SCHEDULE
2024.10.16 (水)
KOTSU All Night Long
#HOUSE
#DANCE MUSIC
#ALL MIX
@ KIETH FLACK 2F
FEE ¥1,500 (1drink order)
OPEN 21:00
ABOUT EVENT
CYKのKotsuが昨年ぶりのオールナイトロング・セットを全国5都市にて敢行!
’16年に結成したハウス・ミュージック・コレクティブ『CYK』のメンバーであり、ソロにおいても国内外で多くのギグを重ねているKotsuによるオールナイトロングセットが京都、岡山、広島、福岡、仙台の5都市にて開催される。
Kotsuは20年9月に京都へ拠点を移して以降も活動ペースは変わらず24年8月までに国内28都市でプレイ、2023年には渋谷WWW XにてALL NIGHT LONG SETを敢行するなどダンスミュージック及びクラビングにおけるピュア・エナジーを全国規模で放出し続けている。
DJにおいては10年代以降のダンスミュージックを参照点に過去アーカイブを織り交ぜながらボーダーレスに展開する。社会的なムードやフロアのグルーヴに応じた独自のセレクションには定評がある。
また、Baba StiltzやMall Grab、Ross From Friendsなど数々のアップカミングなDJ/プロデューサーを招聘してきたCYKは、日本のみならず韓国や香港などのアジアや「Rainbow Disco Club」や「FUJI ROCK」などのフェスティバルにもラインナップされており、22年12月渋谷O-EASTにて行われたALL NIGHT LONGパーティーも盛況を見せた。
B2Bスタイルを軸に広義の”ハウス”の解釈のもと、日本を中心に海外も含めた様々なシチュエーションでプレイを重ねている。また、旧来のハウス・ミュージック・カルチャーに準拠し、セーフスペースの概念に重きを置いたフロア作りを行なっている。
Kotsu自身のパーティーおよびCYKを中心に多数のフライヤーを手がけるグラフィックデザイナーとしての側面もあり、過去にコラムが中心となったZINEの製作を行うなどあらゆるフォーマットでアウトプットを行なっている。
2023年にはグラフィックデザインを中心とした個展『Residue!』を京都にて開き、東京、名古屋で巡回展を行った。”DJ”という肩書きに依拠せず活動する彼は、この時代に投下された一種の吸収体による純粋な反応に過ぎない。
また、今回のツアーでは来場者に他都市でのエントランスフィーが500円OFFになるディスカウントカードが配布予定だ。
以下本人からメッセージが届いた。
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“Reflection 2.0”
WWW XでのALL NIGHT LONG SETからはや1年。この1人会のコンセプトを持ち出し全国各地で披露してみたくなった。それが今回に至ったシンプルな気持ちです。京都、岡山、広島、仙台、福岡。僕のDJ人生にとってそれぞれが印象的な街であり、沢山のインスピレーションをいただいています。以下は昨年の1人会にあたってのメッセージに加筆修正したものになります。あの日僕はここから出発して、音楽に委ねながらまた新しい事を沢山教わりました。あの日以降の物語も個人的に忍ばせながら、皆にとっても楽しい日になればと思います。
自分が様々な土地に訪れたり、あるいは京都や東京で日々経験されることを放出する”反射体”としての実相=自己と、自己完結的で内省的な深層=自己。その二つの狭間に生じる”ゆらぎ”を取り出し提示してみたいと考えています。
分かりやすく言うと前者は(コミュニケーション方法が会話であれDJingであれ)対人と関係する時の自分、後者は特に一人でいるときに現れているような純粋無垢(と思われる)な自分…。もしかしたら”Kotsu”に対する”本名としての自分”みたいな関係かもしれません。
その双方が自分にとって並列であり、どちらに寄せるでもなく、また同一化を求めているわけでもありません。あくまでもその二元論がDJingによって融解し曖昧さを持ち始め、覚醒し出すプロセスを歩みます。
“ずっとここに居たいわけで無ければ、今すぐ飛び去りたいわけじゃない、ただ軽やかにいたい”。 どっちつかずと言われればそれまでですが、これは京都に拠点を移して以降のマインドセットとして自分の中に確実に存在しています。変化することを希求する…。それはゴールがそこにありいずれ救われるものとしてのプロセスではありません。軽やかに変化しながら境界線を曖昧にさせることによって生じるリズムを取り出したい。そんなことを考えています。
コードが複雑化した中で、脱領土化し、止めどない足踏みによって再領土化する。これはその連続における私の痛切なエッセイです。それはロードサイドミュージックの断片でもあれば至極都市的なダンスミュージックの感触かもしれません。
それは誰かの共感であれば誰かのフィクションかもしれません。
ただ、そのグラデーションの現出こそが”ゆらぎ”を認める第一歩になる気がしています。個人的な実証を起点としながらもオープンな場所であることに喜びを感じます。
ダンスミュージックにおける反復の中で自分を投影してみたり、あるいは自らを離散させながら自由に漂ってみてくれたら嬉しいです。